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沖縄のあのエメラルドグリ

タレコミ by seasonreacher
seasonreacher 曰く、

沖縄・名護は家内の両親の郷里だ。二人で最後に旅行をした思い出の地でもある。沖縄に一人移り住んだ僕は、やがて、名護湾を見下ろす丘の上に庵を結び、毎日のように、海を眺めながら、時間に耐えた。
 ーンの海にはさすがに癒す力があるようだ。僕は海を見ながら多くのことを忘れていった。悲しみや無力感、後悔。つらかった思い出が薄皮をはぐように僕の中から消えていき、二人の幸福だった思い出が額縁の絵のように蘇ってきて、記憶を入れ替えていった。
 沖縄の海は、僕にとって癒しの海であるばかりか哲学の海でもあった。人間とは何なのか、人生とは何なのか。生きる意味とは。人と社会との関わりは。朝起きて、背中からさしてくる順光の光に照らされて色づいていく海を見ながら、僕は静寂の時間を楽しむ。海との対話は、僕の一人問答の時間でもあった。
 人は何を求めて生きていくのか。その真なる意味はいまだ答えを見出しきれてはいないのだろう。ただ、いくつか断片としてわかったことはある。
 まず、人間は必ず死ぬということだ。それは当たり前のことではあるが、死を思い、死を前提として人生を生きている人など、ほとんどいない。むしろ、人は今という幸福が永遠に続くような錯覚の中にまどろみながら生きているのだ。もちろん、だからこそ、明るい未来を胸に人は生きていけるわけだが。しかし、もしかしたらそのまどろみは、人間が生きていることの意味を見失わせる麻酔のようなものなのかもしれないのだ。この世で為すべき使命を終えたときには、僕たちは還るべき世界に還る。
 そして、この世には、持って還れるものと還れないものがあるということだ。家内の遺品を整理していたら、ミック―マウスのブリキ缶が出てきた。ガラクタのような記念品と共に、一冊の日記が出てきた。そこには、家内の結婚前の恋物語が拙い字でつづられていた。もちろん、本人から結婚前の恋愛話は聞かされていたので、それはほほえましくもあるのだが、そんなに後生大事に抱えていたものが、結局、この世に置き去りにするしかないのだ。この世から持って還れるものとは、精神であるとか、心であるとか、そのひと本人に付随するものだけであって、この世のものはこの世に置いていくしかない。
 結局、人生とは「残された時間」のことなのだ。僕が死ぬのが、明日なのか、十年後なのかは誰もわからない。しかし、僕はいつか死ぬ。必ず死ぬ。その日まで、僕はこの時間を使って何をするのか。これが少なくても僕にとっての人生の意味なのだ。
 五十歳を過ぎて、ようやく、僕は妻の死や人生の意味を冷静に見つめられるようになったような気がする。僕にとって四十代というのはまさにそのための醸成の時間だった。その間、輝いて見えた多くのものが色褪せ、今まで価値も感じなかったものが、闇の中から輝きを持って浮かび上がってきたのだ。ジグソーパズルのように、この世界をどう見るか、この世界にいる僕をどう位置付けるか、いくつものピースがだんだんと僕という人間の人生を、一枚の絵として形作っていくような気がした。
 僕はこの八年間、何を醸成してきたのだろう。僕はもう一度、表現者と生きてみようと思った。人間の幸福というものを、目に見えるかたちとして表現したいのだ。そう心に決めた時、まさに人生の覚悟のようなものが生まれてきた。
 僕は僕の一人合言葉として、いつもぶつぶつつぶやいているのだ。
 「五十歳を過ぎたら、生き方を変えろ。
  いつ死ぬかわからないのに、もうこの世にはしがみつけないよ。
  灰にならぬものを追い求めよ」。
 家内を見送ったあの日、天に舞っていた無数の桜の花びらは、いま僕の心の中で、僕のために舞っているのだ。

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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人

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