seasondrang 曰く、
それと朝顔とどういう関係があるのさ?
だから、井戸のそばに朝顔が植わっていたわけよ。
朝顔が釣瓶を取ったって・・・どうやって? いったい何日掛かって釣瓶に朝顔が絡まったの?
いや、だから釣瓶ではなくて、釣瓶の縄に朝顔の蔓が、朝スルスルと巻きついてしまったんだな。
それで井戸の中に釣瓶を落とすことができないんだね?
そうそう。ポチャンと落とせないわけよ。
モライミズって何?
水を貰うこと。
あっ、判った! 釣瓶に朝顔の蔓が巻きついてしまって、蔓を切るに忍びないんで隣の家から水を貰ったっていうこと?
正解!
「で、俺の腕が釣瓶の縄で、猫が朝顔ってわけだ」
「回りくどいな・・・」
「今は、学校ではこの俳句を教えないのか。俺の時代は誰でも知っている俳句だったのにな・・・」
「井戸なんて見たことないからね。今の時代じゃ、釣瓶にしたって、意味が判らないからじゃない?」
「でも、情緒があっていい句だろう?」
「そうだね」
「やっぱ、こういう情緒を学校で教えないといけないと思うんだがな」
殺伐とした時代にこそ、声高に道徳教育を叫ぶのではなく、こういった優しさや慈しみの心を教えるべきだという話はこの際おいておくこととして、「番町皿屋敷」でも観てなけりゃ、確かに今の子どもには意味不明かも知れねぇよな・・・
東京には今でもポンプ式の井戸が残っているところがある。池上本門寺や本郷・樋口一葉旧居跡、池之端・境稲荷神社で見たことがあるし、古い町並みの残っている場所で散歩中に見かけることもある。
でも、昔ながらの釣瓶で汲み上げる井戸を見かけたことはないな。
特に、俺の育った下町なんかはもともとが低地で、掘っても飲用に適さない。そのため、工業用水を汲み上げる井戸しかなかった。
古くからの江戸の町、神田・日本橋・銀座界隈では井戸を掘っても海水混じりの水で、そのために神田上水などを引いて、江戸市中の飲料水とした。
池之端や本郷、新宿などにポンプ式の井戸が残っているのは、もともとが台地で、湧水や良質の地下水を汲み上げることができたからだ。
母の郷里には、釣瓶で汲み上げる井戸があった。
夏休みに遊びに行くと、釣瓶に西瓜を入れてそっと井戸水の中に下ろし、冷えた頃を見計らって釣瓶を上げて食べたものだ。
飲料用の井戸水に西瓜を漬けるのも不衛生だったように思うが、まあ、あまり気にしていなかったのだろう。
地下の井戸水は冷たくて、西瓜がよく冷えた。
そういえば、「朝顔につるべ取られてもらい水」の句を聞くたびに、いつも母の実家の井戸を思い浮かべたな・・・
朝がほに つるべとられて もらひ水
この句は、千代女35歳の時に、「朝がほや つるべとられて もらひ水」と詠み直