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ユタ州司法次官補曰く、もしも法律でノートPCとの結婚が認められるとしても、ノートPCが15歳になるまでは結婚できない」記事へのコメント

  • by Anonymous Coward on 2017年06月04日 22時54分 (#3222126)

    結婚って異性がするもので同性がするものじゃない。
    病気か何か知らんが、おかしな人たちの主張を権利だなんだと取り上げるのもそろそろいい加減にしてほしい。
    自然の摂理に歯向かうなよ。

    • 病気か何か知らんが

      いつ・どこの認識か知らないけど、現在の日本では病気とは考えられてないようだよ。

      自然の摂理に歯向かうなよ。

      自然に結婚なんてものはない。
      結婚は、人間の作った文化の上にしか存在しない。

      あえて言えば、「伝統的な文化に歯向かうな」と言い換えるのが正しいとは思うね。

      親コメント
      • by Anonymous Coward

        婚姻状態と言う文化的社会行動は、一般の動物でもかなりの確率で見受けられますよ。
        動物によって1シーズン限りであったり重複やスワッピング可だったりもしますが。

        • by Anonymous Coward

          そういう風に「他の生物でもある」ということを言い出すなら、
          まさに他の生物でも同性愛行為や同性共同生活を行う動物もいるし、
          なにより「そういうモノが生まれる」こと自体が自然の営みの結果であるのだから、「居るのが自然の摂理」ですね。

          その上で社会性動物たる人間として、あるいは契約と法により自らを律する者として、どうあるべきか、と考えなきゃいけない。
          自然の摂理とか持ち出して否定する人は、単に
          「嫌悪感が生まれるということは自然がそれを拒否しているということだ」
          って言ってるだけであり、自然の摂理がどんなものかについて深く考えてはいない。

          #ヒトがヘビに嫌悪感を覚えるからといって、自然の摂理はヘビの存在を許している。
          #だが生活に支障があるならヘビを駆除するというのは社会で許容されるし、逆にヘビが許容されたり、嫌うながらも神として祭り上げられ保護される社会も十分あり得る。
          #「ヒトがヘビを嫌うのは自然の摂理だからヘビは排除すべき」は単なる短絡かつ浅慮でしかない。

        • by Anonymous Coward

          文化って精神的な側面を含むと思うのですが、動物の婚姻状態という社会的活動に
          本当に文化的なものを含むのですか?
          人間の婚姻には、社会から承認される事による精神的充足を含むと思います。

          akiraaniさんのコメントとか#3222351とかもそうなんですけど、
          婚姻の議論で、社会的なメリット・デメリットとか「社会性動物たる人間」とか
          社会の部分ばかりが強調されて、心の部分が全く置き去りなのがすごく気になるんですよね。
          立法・行政側の視点ばかりで生活の主体としての視点がないというか。
          まあ行政側の視点で言っても、市民のメンタルヘルス的な側面から
          婚姻制度って語れると思うんですけどね。

          • by Anonymous Coward
            隔離して飼育した集団が数世代のうちに異なる行動をし始めることがある(性行動についても)
            ということが実験的に確かめられている
            さすがに遺伝子レベルの差はまだ発生しておらず肉体的な違いがない以上、その違いは精神的な何かに由来するわけで
            これを文化と呼ぶかどうかは用語の問題でしかないだろう
          • by Anonymous Coward

            どの立場でどうあれと思って書かれているのか分かりませんが、
            こころとか精神的とか言い出すと個人の問題の集合になってしまうので、
            例えば「異性間婚姻しか許されないことによる同性愛者の悩み」と
            「同性婚が生理的に受け付けられない異性愛者の悩み」はどこまでいっても平行線なのです。
            いや、個人の内では何らかの決着(「気に入らないけど無視」や「いつまでも文句言う」等も含む)がつけられるけど、
            話としては「社会制度として同性間結婚を取り入れるか否か」だから「心の部分」とやらを話に混ぜたら終わらないのです。
            どのような制度にしようと全員が納得することはあり得ないが、個人の心とは別の根拠をもったルールにしておけばとりあえず「あきらめる」説得力を持たせることはできる、ということ。
            (個人の心とは別に、全体のぼんやりとした傾向は取り入れますけどね。それがまさに「近年この手のことが許容される方向にある」というのがソレ)

            • どのような制度にしようと全員が納得することはあり得ないが、個人の心とは別の根拠をもったルールにしておけばとりあえず「あきらめる」説得力を持たせることはできる、ということ。
              (個人の心とは別に、全体のぼんやりとした傾向は取り入れますけどね。それがまさに「近年この手のことが許容される方向にある」というのがソレ)

              それは説明が逆なんじゃない?
              個人の心のぼんやりとして合意が、全体のぼんやりとした傾向を形成し、それが結婚の定義に繋がっている、というのが正しいでしょう。
              定義された結婚が逆に、個人の心に影響を与える、ということはあり得るけど、先に結婚があるわけではない。

              親コメント
    • by Anonymous Coward

      日本の若い人の間で、各種優遇目的でペーパー婚する人が増えていると聞いてゾっとする。

      • by Anonymous Coward

        同性やら同人やらでの婚姻が認められて形骸化が進めば、
        若い人からすればただのカップル割キャンペーンみたいな感覚になるでしょうね。

長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds

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