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15年前といえば、「ちょびっツ」連載時期か。
1990年代、赤松健氏の「A・Iが止まらない!」でPCと人間の恋愛を描いて、「結局、人間とPCでは超えられない壁があるよね」、というテーマで終幕、ヒロインのPCが人間に転換して、結局「人間と人間の恋」になった、って「おいおい」ことで物語が終わったのに対して、
2000年代前半の「ちょびっツ」が「人間とPCの恋模様」に終始することにできた、ことに驚愕したが
今となってはその驚きも彼方の世界だろうな#何が驚きなのか、説明すら難しい1orz
>1990年代、赤松健氏の「A・Iが止まらない!」でPCと人間の恋愛を描いて、>「結局、人間とPCでは超えられない壁があるよね」、というテーマで>終幕、ヒロインのPCが人間に転換して、結局「人間と人間の恋」になった、>って「おいおい」ことで物語が終わったのに対して、
えー、おじいちゃん、何かと間違えていません?(赤松氏の漫画図書館Zで公開されているので、ご確認ください。)サーティさんは、PC(ハードウェア)ではなくて、AI(ソフト)で、どこかの女神さまっ(苦笑)のように落雷と共に光臨^h^h実体化したのだけど、AI故の普通の人間との常識や出来ることのギャップをネタにしたギャグ漫画ですよね。最終エピソードの究極破壊プログラム戦(苦笑)の時にも、「人間になりたい」のではなくて「主人公のヨメとしての日常を守りたい」という意思と、最後までAIコアであることが明示されていますよね。(藤島先生も赤松先生も愛が人間の枠を超えちゃっている点で正義を共有しているわけで、興味深いですね(笑))
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あと、僕は馬鹿なことをするのは嫌いですよ (わざとやるとき以外は)。-- Larry Wall
老人の昔語り (スコア:3, 興味深い)
15年前といえば、「ちょびっツ」連載時期か。
1990年代、赤松健氏の「A・Iが止まらない!」でPCと人間の恋愛を描いて、
「結局、人間とPCでは超えられない壁があるよね」、というテーマで
終幕、ヒロインのPCが人間に転換して、結局「人間と人間の恋」になった、
って「おいおい」ことで物語が終わったのに対して、
2000年代前半の「ちょびっツ」が「人間とPCの恋模様」に終始することに
できた、ことに驚愕したが
今となってはその驚きも彼方の世界だろうな
#何が驚きなのか、説明すら難しい1orz
Re:老人の昔語り (スコア:0)
>1990年代、赤松健氏の「A・Iが止まらない!」でPCと人間の恋愛を描いて、
>「結局、人間とPCでは超えられない壁があるよね」、というテーマで
>終幕、ヒロインのPCが人間に転換して、結局「人間と人間の恋」になった、
>って「おいおい」ことで物語が終わったのに対して、
えー、おじいちゃん、何かと間違えていません?(赤松氏の漫画図書館Zで公開されているので、ご確認ください。)
サーティさんは、PC(ハードウェア)ではなくて、AI(ソフト)で、どこかの女神さまっ(苦笑)のように落雷と共に光臨^h^h実体化したのだけど、AI故の普通の人間との常識や出来ることのギャップをネタにしたギャグ漫画ですよね。
最終エピソードの究極破壊プログラム戦(苦笑)の時にも、「人間になりたい」のではなくて「主人公のヨメとしての日常を守りたい」という意思と、最後までAIコアであることが明示されていますよね。
(藤島先生も赤松先生も愛が人間の枠を超えちゃっている点で正義を共有しているわけで、興味深いですね(笑))