交響詩「フィンランディア」を作曲した Jean Sibelius も、Nokia を興した Knut Fredrik Idestam も、フィンランド大統領の Carl Gustaf Emil Mannerheim 将軍も、『ムーミン』の作者の Tove Marika Jansson も、Linux を開発した Linus Benedict Torvalds も、みんな国籍はフィンランドなんだけど、実は全員スウェーデン人なんだよねぇ...。フィンランド国籍スウェーデン人。フィンランド国籍のフィンランド人で国際的に有名な人物って、実は意外といない...。(欧州は日本と違い国籍 [citizenship] と民族籍 [nationality] は区別するんです。どこかの国の国籍を取得すれば「○○国人」にはなるけれども、民族的に「○○人」になるわけではないことに注意。)
マンネルヘイム将軍の場合はたぶん、母語はスウェーデン語だったとは思いますが、もしかすると大人になって自分の民族意識はフィンランド人になっていた可能性もあります。こればかりは本人に訊いてみないとわかりません。音楽家の Liszt Ferenc(リスト・フェレンツ)[Franz Lis(z)t フランツ・リスト]もハンガリー王国で生まれたドイツ人だったのですが、なぜか彼はハンガリー語ができなかった癖に自分はハンガリー人だと非常にこだわっていました。ドイツ人だと呼ばれると怒ったと言うのは有名な話しです。とは言え、ブダペストの音楽大学の初代学長に就任し、中年にはハンガリー語を勉強し、ある程度はできるようにはなっていたようです。彼はハンガリーで生まれ、ハンガリーで活躍しましたが、ドイツ人の出身で、母語もドイツ語でした。はてさて彼は民族的にはいったい何人だったのでしょう? マンネルヘイム大統領の場合も同様の問題がありそうですね。
ちなみに、仲間由紀恵主演で NHK が放送したドラマ『テンペスト』に登場する“英国人宣教師”バーナード・ジャン・ベッテルハイムは実はハンガリー王国の国会の開催されていた立法上の首都であったポジョニュ市(ドイツ語名プレスブルク、スロヴァキア語名プレシュポロク、現在のスロヴァキア語名ブラティスラヴァ)出身のユダヤ人でした。たぶん、生まれた時は「ハンガリー国籍のドイツ系ユダヤ人」だったのではないかと思われます。彼はハンガリー国内の3つの大学で学んだ後、イタリアの大学で医学部に進み、後に英国に渡り、英国人女性と結婚し、英国国教会に改宗し、琉球王国に派遣されてきたのでした。その後、琉球に開国を迫りに訪れたペリーの黒船に便乗し、米国に渡り、南北戦争で軍医として従軍し、最後は米国で病没しました。彼はいったい何人だったのでしょうね?
ちなみに、現在のルーマニアの大統領の Klaus Werner Johannis もトランシルヴァニア生まれのルーマニア国籍のドイツ人です。母語は当然ドイツ語です。トランシルヴァニアのドイツ人の中心都市、ヘルマンシュタット(ハンガリー語名はナジセベン、ルーマニア語名はシビウ)生れで、同市の市長から大統領に上り詰めました。ちなみに1881年に初代ルーマニア国王に即位したドイツのジグマリンゲンのホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家のカール・アイテル・フリードリヒ・ゼフィリヌス・ルートヴィヒ国王(ドイツ語ではカルル一世、ルーマニア語ではカロル一世)もドイツ人でした。
国際的に有名なフィンランド人 (スコア:0)
Re: (スコア:0)
第一候補はムーミン。次がヤンソンとリーナスでは。
Re: (スコア:2)
Re:国際的に有名なフィンランド人 (スコア:2)
フィンランド人といった時点で通常は国籍ベースとなる。
フィンランドの主要な民族の方はフィン人と呼ぶのが普通。
#でも日本国籍のツルネン・マルテイはフィンランド人って自称してるな。
あとマンネルハイム元帥・大統領の祖先がスウェーデンに住んでいたのは確かだけど、民族的にはドイツ系かスコットランド系じゃなかったっけ。
Re:国際的に有名なフィンランド人 (スコア:2, オフトピック)
フィンランド人といった時点で通常は国籍ベースとなる。
フィンランドの主要な民族の方はフィン人と呼ぶのが普通。
そう断言されても...。
日本においてはそのような明示的な区別はされておりません。色々な者が好き勝手に、かつカオス的に色々な語彙を使っています。個人的にそのように区別している者もおります。
#でも日本国籍のツルネン・マルテイはフィンランド人って自称してるな。
上の #2913957 のコメントで説明している通り、ヨーロッパ人の意識は例え日本国籍を取得したからと言って自分の所属民族意識が変わるわけではありません。また、フィンランド人とフィン人という区別 (?) も、それは日本人が勝手にしていることであって、彼自身はあくまでも suomalainen(スオミ人)ですから (^^)。
日本国籍を取得したラモスやサントスが「自分は日本人だ」とあちこちで主張していますが、あれは彼らが南米人だからです。アメリカ大陸は全て移民国家で、私の知る限り、どこも米国と同じ属地主義を取っています。だから、彼らは自分らは日本国籍を取得した以上もう日本人なのだと信じているわけです。でも、日本人としてはちょっと違和感がありますよねぇ...。それは日本も欧州と同じ血統主義国家だからです。
アメリカ大陸ではだいたい「アメリカ民族」とか「メキシコ民族」、「カナダ民族」、「ブラジル民族」、「アルゼンチン民族」なんてのは存在しえないわけで、国籍だけが区別の基準となりえます。だから、北米でも中南米でも移民一世は通常は自分の出身民族名を名乗ります。
欧州人にとって(これはアメリカ大陸人にとっても同じですが)「国籍」って日本で言えば「住民登録」のようなもので、単にその国で生きて行くための権利・義務を適用されるための手続きに過ぎないのですね。だから自分が移住した国の国籍を取ることにあまりためらいはありません。異国の国籍を取得したからと言って、自分の民族が変わるわけではありませんから。だから欧州域内で国際結婚をして、嫁ぎ先の国籍を取得したとしても、本人は相変わらず自分の出身民族を名乗るし、近所の人々も「あの○○さん家の○○人の奥さん」のように話します。(この時点で『日本人とユダヤ人』の帰化の説明は嘘だとわかります。)
と言うわけで、ツルネン・マルテイさんは(この前の選挙の時には駅前で彼から選挙のチラシを手渡されましたが (^^)♪)国籍は日本でも(つまり日本国人)、あくまでも民族はフィンランド人なのです。
あとマンネルハイム元帥・大統領の祖先がスウェーデンに住んでいたのは確かだけど、民族的にはドイツ系かスコットランド系じゃなかったっけ。
大昔の先祖にドイツやスコットランドからスウェーデンに渡って来た者がいると言うことには欧州ではあまりたいした意味はありません。欧州においては誰でもほぼ 100 % 様々な民族の祖先がおります。これが島国の日本との違いです。誰と話してもすぐ4つか5つ位の民族の血が入っていることは説明してくれるはずです。それもそんなに遠い先祖ではなく、祖母とか、従兄とか、叔母とか。通常、親戚縁者も世界中に散らばっています。
また、先祖がスコットランドやドイツから来ていたと言っても、あくまでも、それは先祖の一部に過ぎません。先祖は1世代溯るごとに倍々ゲームで増えて行きますから、あっと言う間に様々な先祖がいることになります。通常姓は父系で受け継がれますので、名字から「この家は○○系だ」等と言われますが、よくよく考えれば、確かに姓は父系で受け継がれますが、それは、そういう先祖がいたという証拠にしか過ぎず、遺伝的には他の民族の血の方が圧倒的に優勢な場合もよくあります。
マネールヘイム(マンネルハイム)の場合は直近の父母がスウェーデン人意識を持っていたと思われます。知識としては先祖がドイツやスコットランドに溯る者がいると知っていたかも知れませんが、たぶん、意識はスウェーデン人だったと想像できます。民族意識の基本は通常は母語です。(たぶん、スウェーデン人は彼をマネールヘイムと呼び、フィンランド人はマンネルヘイムと呼んでいたと思います。マンネルハイムは日本人が勝手にドイツ語読みしたものをカタカナにしたものでしょうね。)
マンネルヘイム将軍の場合はたぶん、母語はスウェーデン語だったとは思いますが、もしかすると大人になって自分の民族意識はフィンランド人になっていた可能性もあります。こればかりは本人に訊いてみないとわかりません。音楽家の Liszt Ferenc(リスト・フェレンツ)[Franz Lis(z)t フランツ・リスト]もハンガリー王国で生まれたドイツ人だったのですが、なぜか彼はハンガリー語ができなかった癖に自分はハンガリー人だと非常にこだわっていました。ドイツ人だと呼ばれると怒ったと言うのは有名な話しです。とは言え、ブダペストの音楽大学の初代学長に就任し、中年にはハンガリー語を勉強し、ある程度はできるようにはなっていたようです。彼はハンガリーで生まれ、ハンガリーで活躍しましたが、ドイツ人の出身で、母語もドイツ語でした。はてさて彼は民族的にはいったい何人だったのでしょう? マンネルヘイム大統領の場合も同様の問題がありそうですね。
ちなみに、仲間由紀恵主演で NHK が放送したドラマ『テンペスト』に登場する“英国人宣教師”バーナード・ジャン・ベッテルハイムは実はハンガリー王国の国会の開催されていた立法上の首都であったポジョニュ市(ドイツ語名プレスブルク、スロヴァキア語名プレシュポロク、現在のスロヴァキア語名ブラティスラヴァ)出身のユダヤ人でした。たぶん、生まれた時は「ハンガリー国籍のドイツ系ユダヤ人」だったのではないかと思われます。彼はハンガリー国内の3つの大学で学んだ後、イタリアの大学で医学部に進み、後に英国に渡り、英国人女性と結婚し、英国国教会に改宗し、琉球王国に派遣されてきたのでした。その後、琉球に開国を迫りに訪れたペリーの黒船に便乗し、米国に渡り、南北戦争で軍医として従軍し、最後は米国で病没しました。彼はいったい何人だったのでしょうね?
IT関係の皆さんだったらネットワーク理論のバラバーシ・アルベルト・ラースロー(アルバート=ラズロ・バラバシ)をご存知だと思いますが、彼は現在米国の大学で教鞭を執っており、彼の著書は日本では英語から翻訳されているために、日本では彼をアメリカ人だと信じている人が多いですが、実は彼はルーマニア領トランシルヴァニアのセーケイ地方出身のセーケイ人です。(セーケイ人とはハンガリー人の下位分類です。)そのため、現在彼はルーマニアとハンガリーと米国の三重国籍です。もちろん、彼の場合ははっきりしていて、民族的には彼はハンガリー人です。
ちなみに、現在のルーマニアの大統領の Klaus Werner Johannis もトランシルヴァニア生まれのルーマニア国籍のドイツ人です。母語は当然ドイツ語です。トランシルヴァニアのドイツ人の中心都市、ヘルマンシュタット(ハンガリー語名はナジセベン、ルーマニア語名はシビウ)生れで、同市の市長から大統領に上り詰めました。ちなみに1881年に初代ルーマニア国王に即位したドイツのジグマリンゲンのホーエンツォレルン=ジグマリンゲン家のカール・アイテル・フリードリヒ・ゼフィリヌス・ルートヴィヒ国王(ドイツ語ではカルル一世、ルーマニア語ではカロル一世)もドイツ人でした。
ルーマニアのクラウス・ヨハニス大統領も「ドイツ系ルーマニア人」ではなく「ルーマニア国籍のドイツ人」です。ドイツ語でも彼らは Rumäniendeutsche と呼ばれています。やはり基本はドイツ人なのですね。