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結婚って異性がするもので同性がするものじゃない。病気か何か知らんが、おかしな人たちの主張を権利だなんだと取り上げるのもそろそろいい加減にしてほしい。自然の摂理に歯向かうなよ。
病気か何か知らんが
いつ・どこの認識か知らないけど、現在の日本では病気とは考えられてないようだよ。
自然の摂理に歯向かうなよ。
自然に結婚なんてものはない。結婚は、人間の作った文化の上にしか存在しない。
あえて言えば、「伝統的な文化に歯向かうな」と言い換えるのが正しいとは思うね。
婚姻状態と言う文化的社会行動は、一般の動物でもかなりの確率で見受けられますよ。動物によって1シーズン限りであったり重複やスワッピング可だったりもしますが。
文化って精神的な側面を含むと思うのですが、動物の婚姻状態という社会的活動に本当に文化的なものを含むのですか?人間の婚姻には、社会から承認される事による精神的充足を含むと思います。
akiraaniさんのコメントとか#3222351とかもそうなんですけど、婚姻の議論で、社会的なメリット・デメリットとか「社会性動物たる人間」とか社会の部分ばかりが強調されて、心の部分が全く置き去りなのがすごく気になるんですよね。立法・行政側の視点ばかりで生活の主体としての視点がないというか。まあ行政側の視点で言っても、市民のメンタルヘルス的な側面から婚姻制度って語れると思うんですけどね。
どの立場でどうあれと思って書かれているのか分かりませんが、こころとか精神的とか言い出すと個人の問題の集合になってしまうので、例えば「異性間婚姻しか許されないことによる同性愛者の悩み」と「同性婚が生理的に受け付けられない異性愛者の悩み」はどこまでいっても平行線なのです。いや、個人の内では何らかの決着(「気に入らないけど無視」や「いつまでも文句言う」等も含む)がつけられるけど、話としては「社会制度として同性間結婚を取り入れるか否か」だから「心の部分」とやらを話に混ぜたら終わらないのです。どのような制度にしようと全員が納得することはあり得ないが、個人の心とは別の根拠をもったルールにしておけばとりあえず「あきらめる」説得力を持たせることはできる、ということ。(個人の心とは別に、全体のぼんやりとした傾向は取り入れますけどね。それがまさに「近年この手のことが許容される方向にある」というのがソレ)
どのような制度にしようと全員が納得することはあり得ないが、個人の心とは別の根拠をもったルールにしておけばとりあえず「あきらめる」説得力を持たせることはできる、ということ。(個人の心とは別に、全体のぼんやりとした傾向は取り入れますけどね。それがまさに「近年この手のことが許容される方向にある」というのがソレ)
それは説明が逆なんじゃない?個人の心のぼんやりとして合意が、全体のぼんやりとした傾向を形成し、それが結婚の定義に繋がっている、というのが正しいでしょう。定義された結婚が逆に、個人の心に影響を与える、ということはあり得るけど、先に結婚があるわけではない。
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今の風潮が気持ち悪い (スコア:-1)
結婚って異性がするもので同性がするものじゃない。
病気か何か知らんが、おかしな人たちの主張を権利だなんだと取り上げるのもそろそろいい加減にしてほしい。
自然の摂理に歯向かうなよ。
Re: (スコア:1)
病気か何か知らんが
いつ・どこの認識か知らないけど、現在の日本では病気とは考えられてないようだよ。
自然の摂理に歯向かうなよ。
自然に結婚なんてものはない。
結婚は、人間の作った文化の上にしか存在しない。
あえて言えば、「伝統的な文化に歯向かうな」と言い換えるのが正しいとは思うね。
Re: (スコア:0)
婚姻状態と言う文化的社会行動は、一般の動物でもかなりの確率で見受けられますよ。
動物によって1シーズン限りであったり重複やスワッピング可だったりもしますが。
Re:今の風潮が気持ち悪い (スコア:0)
文化って精神的な側面を含むと思うのですが、動物の婚姻状態という社会的活動に
本当に文化的なものを含むのですか?
人間の婚姻には、社会から承認される事による精神的充足を含むと思います。
akiraaniさんのコメントとか#3222351とかもそうなんですけど、
婚姻の議論で、社会的なメリット・デメリットとか「社会性動物たる人間」とか
社会の部分ばかりが強調されて、心の部分が全く置き去りなのがすごく気になるんですよね。
立法・行政側の視点ばかりで生活の主体としての視点がないというか。
まあ行政側の視点で言っても、市民のメンタルヘルス的な側面から
婚姻制度って語れると思うんですけどね。
Re: (スコア:0)
ということが実験的に確かめられている
さすがに遺伝子レベルの差はまだ発生しておらず肉体的な違いがない以上、その違いは精神的な何かに由来するわけで
これを文化と呼ぶかどうかは用語の問題でしかないだろう
Re: (スコア:0)
どの立場でどうあれと思って書かれているのか分かりませんが、
こころとか精神的とか言い出すと個人の問題の集合になってしまうので、
例えば「異性間婚姻しか許されないことによる同性愛者の悩み」と
「同性婚が生理的に受け付けられない異性愛者の悩み」はどこまでいっても平行線なのです。
いや、個人の内では何らかの決着(「気に入らないけど無視」や「いつまでも文句言う」等も含む)がつけられるけど、
話としては「社会制度として同性間結婚を取り入れるか否か」だから「心の部分」とやらを話に混ぜたら終わらないのです。
どのような制度にしようと全員が納得することはあり得ないが、個人の心とは別の根拠をもったルールにしておけばとりあえず「あきらめる」説得力を持たせることはできる、ということ。
(個人の心とは別に、全体のぼんやりとした傾向は取り入れますけどね。それがまさに「近年この手のことが許容される方向にある」というのがソレ)
Re:今の風潮が気持ち悪い (スコア:1)
どのような制度にしようと全員が納得することはあり得ないが、個人の心とは別の根拠をもったルールにしておけばとりあえず「あきらめる」説得力を持たせることはできる、ということ。
(個人の心とは別に、全体のぼんやりとした傾向は取り入れますけどね。それがまさに「近年この手のことが許容される方向にある」というのがソレ)
それは説明が逆なんじゃない?
個人の心のぼんやりとして合意が、全体のぼんやりとした傾向を形成し、それが結婚の定義に繋がっている、というのが正しいでしょう。
定義された結婚が逆に、個人の心に影響を与える、ということはあり得るけど、先に結婚があるわけではない。