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災害や紛争の発生時、最初に問題になるのが電力を含むインフラだと思うのですが、非常時の情報伝達手段として、(バッテリーはありますが)スマホという電源必須のデバイスを選択して問題ないのでしょうか?
非常時対応という観点では、受信が簡単で無電源化も容易なAM放送にしたほうがよいのでは。
災害時に本当に必要なのは身近な情報なんですよ。どこに行けば水があるとか、どこのガソリンスタンドがやってるとか。東日本大震災で地元のFM局にお世話になりました。
それに、AMアンテナを常時スマホに入れておくのはサイズの点でできないでしょう。
災害=AMという考えは捨てた方がいいです。
ガチの災害が起きた時は遠くまで届くAM局が有利だよ。FM局はまとめて死ぬ可能性あるけど、そうなると非被災地域のAM局からの電波が命綱。
なので、災害=AMという考えは基本中の基本。
ここ10年20年でもガチの災害と呼べるようなもの何件か起きてるけどそれでもAMラジオしか情報入手手段無いって状態にはなってない
どんだけ酷い事になったらAMラジオがあって良かったってなるの?
富士山噴火しようがスマホで情報やりとりしてる未来しか想像出来んわ
3011年の3.11の夜、東北太平洋側の避難所で過ごしたが避難所に居る人間が持っているケータイのバッテリーは切れて(というか、ケータイを持っている人間の家族と連絡待ちをしているのでそれ以外で使わない)、もちろんTVもネットもなく(広域で停電)、新聞が届いたのは翌日朝(あの状況で新聞を印刷できたのがむしろ奇蹟)。
このとき、日暮れから翌日朝まで情報を得られたのは、避難所になった小学校で災害対策で準備していたAMラジオのみでした。「津波で沿岸地域に被害があった」と言うこと自体、あるいはその異常性は、津波を目撃できた地域以外では翌朝まではラジオで聞いただけですし(「南三陸町と連絡が取れない」とか。でも翌朝新聞記事の写真を見るまでは現実感がなかった)。それでも「避難所にAMラジオがあってよかった」としみじみ思いましたよ。余震がバンバン続いて眠れもしない状況で、途切れなく人間の声が聞こえるってだけでなんかなるもんですね
「ここ10年20年」で、その一夜だけの個人的な経験なんで、貴方にすれば例外中の例外とでも片づけられるかもしれませんが
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コンピュータは旧約聖書の神に似ている、規則は多く、慈悲は無い -- Joseph Campbell
電源はある前提なの? (スコア:0)
災害や紛争の発生時、最初に問題になるのが電力を含むインフラだと思うのですが、
非常時の情報伝達手段として、(バッテリーはありますが)スマホという電源必須のデバイスを選択して問題ないのでしょうか?
非常時対応という観点では、受信が簡単で無電源化も容易なAM放送にしたほうがよいのでは。
Re: (スコア:0)
災害時に本当に必要なのは身近な情報なんですよ。
どこに行けば水があるとか、どこのガソリンスタンドがやってるとか。東日本大震災で地元のFM局にお世話になりました。
それに、AMアンテナを常時スマホに入れておくのはサイズの点でできないでしょう。
災害=AMという考えは捨てた方がいいです。
Re: (スコア:0)
ガチの災害が起きた時は遠くまで届くAM局が有利だよ。
FM局はまとめて死ぬ可能性あるけど、そうなると非被災地域のAM局からの電波が命綱。
なので、災害=AMという考えは基本中の基本。
Re: (スコア:0)
ここ10年20年でもガチの災害と呼べるようなもの何件か起きてるけど
それでもAMラジオしか情報入手手段無いって状態にはなってない
どんだけ酷い事になったらAMラジオがあって良かったってなるの?
富士山噴火しようがスマホで情報やりとりしてる未来しか想像出来んわ
Re:電源はある前提なの? (スコア:0)
ここ10年20年でもガチの災害と呼べるようなもの何件か起きてるけど
それでもAMラジオしか情報入手手段無いって状態にはなってない
どんだけ酷い事になったらAMラジオがあって良かったってなるの?
3011年の3.11の夜、東北太平洋側の避難所で過ごしたが避難所に居る人間が持っているケータイのバッテリーは切れて(というか、ケータイを持っている人間の家族と連絡待ちをしているのでそれ以外で使わない)、もちろんTVもネットもなく(広域で停電)、新聞が届いたのは翌日朝(あの状況で新聞を印刷できたのがむしろ奇蹟)。
このとき、日暮れから翌日朝まで情報を得られたのは、避難所になった小学校で災害対策で準備していたAMラジオのみでした。「津波で沿岸地域に被害があった」と言うこと自体、あるいはその異常性は、津波を目撃できた地域以外では翌朝まではラジオで聞いただけですし(「南三陸町と連絡が取れない」とか。でも翌朝新聞記事の写真を見るまでは現実感がなかった)。
それでも「避難所にAMラジオがあってよかった」としみじみ思いましたよ。余震がバンバン続いて眠れもしない状況で、途切れなく人間の声が聞こえるってだけでなんかなるもんですね
「ここ10年20年」で、その一夜だけの個人的な経験なんで、貴方にすれば例外中の例外とでも片づけられるかもしれませんが